高野寫眞舘の歴史
HISTORY
高野寫眞舘は創業110年を超える歴史ある寫眞舘です。大正、激動の昭和の時代を共に歩み、現在は登録有形文化財として貴重な国民的財産となっています。
- 1912(明治45)年
高野寫眞舘 創業
新潟県刈羽郡平井村(現柏崎市平井) 出身である初代髙野悌一の髙野家は領主安藤氏の代官格で 12村を治める名家でした。祖先には幕末明治の文人の髙野米峰もいます。創業年に北陸線が開通し、 水力発電所の建設などで活気があった糸魚川に着目し創業しました。
- 1928(昭和3)年
糸魚川大火と再建
前身建物は糸魚川大火で焼失したため翌年大火に強いコンクリート造である現建物を再建しました。
旧高野寫眞舘の上棟式の様子 この貴重な写真からは、建設当時の様子が伺えます。多くの職人によって丁寧に建てられた建物は、約100年近く経った現在もその姿を保っています。
- 1954(昭和29年)
2度目の糸魚川大火
駅前大火により、内部は焼失しましたが、コンクリート造の構造物は焼失を免れ、内部を改装し寫眞舘と住居としました。
- 1986(昭和61)年
住居への転用
隣地に新たな寫眞舘を建設した以降は住居として現在にいたります。
- 2009(平成21)年
登録有形文化財認定
国土の歴史的な景観に寄与し、再現することが安易ではなく造形の模範となっていると認定されました。
- 現在
多目的スペースとしての活用
現在は様々なイベントやワークショップ、展示会などに利用できる多目的スペースとして活用されています。文化財でありながら気軽に利用できる空間として、地域の新たな交流拠点となっています。
建築的特徴
ARCHITECTURAL FEATURES
旧高野寫眞舘は1928(昭和3)年の大火の後に建てられたコンクリート造の建物です。当時としては先進的な工法を用いており、建物の随所に昭和初期の建築様式の特徴が見られます。

基本情報
構造:鉄筋コンクリート造2階建、寄棟造瓦葺
建築面積:228㎡
寸法:主屋奥行15m、幅9.9m
建築年:1928年(昭和3年)

内部の意匠
木製の階段や建具、障子など和と洋が融合した内装デザインが特徴的です。1階には和室もあり、当時の生活様式を伺うことができます。

広々とした空間
寫眞舘として使用されていた2階は天井が高く、自然光を取り入れる大きな窓があります。様々なイベントやワークショップに適した開放的な空間となっています。

細部へのこだわり
照明器具や建具の取っ手、窓枠のデザインなど、細部にまでこだわりが見られます。昭和初期の建築美を今に伝える貴重な要素となっています。
舘内の様子
PHOTO GALLERY
旧高野寫眞舘の内部をご紹介します。昭和初期の雰囲気を残しながらも、現代的な使い方ができる空間となっています。
創業者髙野悌一と相馬御風
FOUNDER AND SOMA GYOFU
創業者髙野悌一と相馬御風との関係
創業者髙野悌一は短歌同人会「木陰会」に所属するなど相馬御風とは長く友人関係にありました。御風の良寛遺跡、遺墨巡りに寫眞師として同行しています。また昭和3年と昭和7年の糸魚川大火からの復興象徴歌の制定に尽力しました。
相馬御風筆「良寛遺詠歌碑」
玄関前の歌碑は中学生で亡くなった悌一の二男が好んだ良寛の短歌です。一周忌に合わせ御風に依頼し、1939(昭和14)年に建立しました。2019(平成31)年に中庭から玄関先に移設されました。


【良寛歌碑】
意尔志弊を おも弊は遊免
可う都ゝ閑裳 よるはしくれ能
あ免をきゝ都ゝ 良寛和尚遺詠
御風拝書
いにしへをおもへばゆめかうつつかも
よるはしぐれのあめをききつつ

糸魚川ユネスコ世界ジオパーク
GEOPARK INFORMATION
旧高野寫眞舘は糸魚川ユネスコ世界ジオパークの文化施設の一つとして位置づけられています。

糸魚川ユネスコ世界ジオパーク
糸魚川は2009年に日本で初めて世界ジオパークに認定されました。フォッサマグナや翡翠(ひすい)など、地質学的に重要な要素を含む地域です。旧高野寫眞舘はその文化的側面を担う施設として、地域の歴史と伝統を伝える重要な役割を果たしています。
ジオパークの他の見どころと合わせて訪れることで、この地域の自然と文化の両面を楽しむことができます。
この歴史ある空間をあなたのイベントに
展示会、ワークショップ、撮影など、様々な用途でご利用いただけます。登録有形文化財ならではの雰囲気の中で、特別なイベントを開催してみませんか?